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●佐々木只三郎【ささき たださぶろう】
◎必殺の剣客・八郎を斬った男。京都見廻組隊長。

佐々木只三郎
 天保4年(1833年)、会津藩士佐々木源八の三男として会津若松に生れる。27歳の時幕臣佐々木矢太夫の養子となると、幕府講武所にて剣術方師範役に任ぜらたほどの剣豪であった。
 文久3年(1863年)攘夷派の首謀格として危険人物とみなされ、幕府は佐々木に八郎を暗殺させる。その後、八郎暗殺の功を認められ、幕府から京都見廻組の取り締まりに命じられる。見回組が結成されるとその隊長として新選組と共に京都の治安維持に努めた。のちに薩長同盟の仲介役となった坂本龍馬暗殺を指揮し近江屋での殺害に関与したとも言われている。慶応4年の鳥羽伏見の戦いに参戦し被弾して負傷、和歌山の紀三井寺まで落ち延びたがそこで没した。
明治元年(1868年)のことだった。
 墓は紀三井寺にあったが近年会津若松市の武家屋敷に移された。

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