幕末の尊攘派志士、清河八郎(1830〜63年)は、天保元年10月10日、庄内藩(山形県)領出羽国田川郡清川村(現庄内町)の郷士、齋藤治兵衛と亀代の長男として生まれた。 斎藤家は、庄内一の醸造石数を誇る酒屋であった。 父・齋藤治兵衛豪寿は清川村の素封家、母・亀代は鶴岡三井家の第三子、兄弟は弟に熊次郎、熊三郎、妹に辰代、家の5人兄弟。
八郎の幼名は元司、名は正明。、清河塾開塾の際、その名を清河八郎と号した。故郷清川を流れる最上川を大河の意味の『河』に変えて「清河」とし、故郷を立て称したと伝えられている。