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●桜山五郎【さくらやま ごろう】
◎池田屋の変に関わり斬首

桜山五郎
 上野佐波郡境町の生まれ。

 医師瑞軒の三男で、号を清節といった。
 本名を村上俊平と言い、安井息軒門人であることから、同じ「虎尾の会」同士・北有馬太郎と同門である。
 万延元年(1860年)、八郎の「虎尾の会」の一員となる。その後、尊皇攘夷活動を過激化させ、ヒュースケン暗殺に端を発し、八郎をはじめ虎尾の会の同志が幕府に目をつけられることとなり、文久元年(1861年)、八郎の町人無礼斬りの際、逃亡の生活が始まる。逃亡期間中、武蔵秩父で義挙を試みたが失敗に終わる。 
 文久3年(1863年)、浪士組に加わり上京する。帰東して横浜外人居住地襲撃を企図していたが、中心人物の八郎が暗殺されたことから実行には至らなかった。
その後、池田屋の変に連座して十月京都で幕吏に捕えられ、元治元年七月二十日六角牢で斬首。享年二十七歳。京都上京区・竹林寺に眠る。

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