■CONTENTS■
虎尾の会
●山岡鉄太郎
●松 岡 万
●伊牟田尚平
●樋渡八兵衛
●神田橋直助
●益満休之助
●美 玉 三 平
●安 積 五 郎
●池田徳太郎
●村上俊五郎
●石 坂 周 造
北有馬太郎
●西 川 練 造
●桜 山 五 郎
●笠 井 伊 蔵
同志・朋友
●高 橋 泥 舟
●間 崎 哲 馬
●藤 本 鉄 石
●真 木 和 泉
●吉村寅太郎
●坂 本 龍 馬
●田中河内介
●平 野 国 臣
●河 上 彦 斎
●宮 部 鼎 蔵
浪士組
新撰組(壬生浪士組)
●芹 沢 鴨
●近 藤 勇
●土 方 歳 三
●沖 田 総 司
●山 南 敬 助
●原田左之助
●藤 堂 平 助
新徴組(東帰浪士組)
●沖田林太郎
その他
●八郎の妻・お蓮
●佐々木只三郎
●ヒュースケン
●孝 明 天 皇
●北有馬太郎【きたありま たろう】
肥前島原藩士。
早くから尊皇攘夷に心を寄せ、来るべき日に備えて、妻子と離別、埼玉の川越在奥富村で私塾を開いていた。北有馬太郎」という名は仮名で、本名は中村貞太郎と言った。(このサイトでは「北有馬太郎」で統一表示します。)
北有馬はもともと肥前島原の人間で、安井息軒門に学んだ秀才だった。妻は安井息軒の娘・須磨子。北有馬は、自分が国事に奔走することで、義父であり師である息軒に迷惑を及ぼすことを恐れ、妻子と離別し、中村貞太郎という本名も捨てている。
北有馬は同じ奥富村で開業医をしていた西川練造とともに、尊皇攘夷の志の元、日々奔走していた。
万延2年(1861年)1月、八郎により結成された「虎尾の会」の一員となる。その後、尊攘活動を過激化させ、「ヒュースケン暗殺」に端を発し、八郎をはじめ虎尾の会の同志が幕府に目をつけられることとなり、八郎の町人無礼斬りの際、連座し投獄され、獄中で病死している。
活動家で交友関係が広く、八郎が逃亡中の遊説の際、真木和泉ら大物尊攘派との接触に成功したのは、北有馬の人脈の賜でもあった。
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