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●益満休之助【ますみつ きゅうのすけ】
◎西郷隆盛の密命!江戸市内を撹乱する

益満休之助
 薩摩郷士。 天保12年(1841年)、薩摩に生まれる。
 伊牟田尚平ら、同郷の仲間とともに攘夷論者で、八郎の『虎尾の会』にその名を連ねている。
 八郎暗殺後、時勢は維新の嵐が吹き荒れ、益満は西郷隆盛の密命を受け、同志・伊牟田尚平と共に江戸に下り、薩摩屋敷を根拠として約500名の浪人を集めて江戸市内を混乱に陥れ、放火や強盗など、幕府に挑発行為を続けた。ここで江戸市中見廻りの任務にあった庄内藩(新徴組)を中心に、幕府は薩摩藩邸焼き討ち・襲撃する。この報告が大坂城に達して会津・桑名二藩の兵を刺激して『鳥羽・伏見の戦い』が勃発することになる。捕らえられていた益満は、勝海舟の所に幽閉されていたが、政府軍の総攻撃に際し、江戸城無血開城のために、勝は幕府の使者として山岡鉄太郎(鉄舟)を駿府に送る。
 目的は駿府に本陣を構える薩摩藩士・西郷隆盛との会談であり、その道案内に薩摩の人間であり西郷に通じているとして益満を同行させる。山岡が薩摩軍の中を堂々と名乗り西郷との会談に成功するというエピソードが知られているが、益満が同行していなければ、西郷との会談は実現できなかったかもしれない。
明治元年(1868年)5月2日没。享年28歳。
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