■CONTENTS■
■清河八郎とは?
■「性格」と「癖」
■齋藤家とその時代
■虎尾(こび)の会
■回天の浪士組
■新撰組と新徴組
■旅日記「西遊草」
■清河八郎の手紙・書
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■八郎のラブレター
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■父への手紙
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清河八郎の「書」
■暗殺秘話
■関係書籍・映像
文武両道の英傑だった清河八郎は、数多くの「書」を残している。
ここでは、清河八郎記念館所蔵の、八郎の書を数点紹介します。
清河八郎記念館は、八郎の遺徳をしのぶため、没後百年を記念して、昭和37年に建てられた。八郎の遺品や、八郎と親交のあった尊皇攘夷志士の貴重な書などが数多く展示されている。これらはいわば、幕末維新のタイムカプセルでもある。志士たちの生の姿を伝える展示物は、激動の時代に生きた「流血の生き証人」たちが語りかけてくれるだろう。
●清河八郎記念館は
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▲堅幅(縦210×横73cm)
「既に回天の勢を作す。風雲共に相苦しむ。忽ち会して還忽ち散ず。遂に万里の雨を施す。」
▲堅幅(縦210×横43cm)
「えにしゑの御世にせむとて今の世に 心つくしの人ぞたのもし」
▲堅幅(縦220×横36cm)
「赤心報告回天倡始」
清河八郎が浪士組とともに上洛する際、懐中にしのばせていった軍旗。ここに記されている「回天倡始」とは、回天偉業の魁たらんとした清河八郎の精神を示したもの。
▲堅幅(縦213×横73cm)
「英雄出処総て天に由る。彼子何ぞ我が濺ぐ所を知らんや。正気渾然終始一。九泉偏に先賢に伴わんことを欲す」
▲堅幅(縦200×横74cm)
『烏之感』
「烏有り、親と児と水端に在り。親烏食を探し、頻りに食を施す。児烏、唖々として羽を振って歓ぶ。之を索め之を食す僅かに一觜のみ。恩其の他に及ぶ事亦難し。誰か禽鳥愛する能わずと謂うか。人間の骨肉或は賊残。偶、小童あり、未だ物を解せず。臂を張って石を握り徒らに相弾つ。吾、時に母を奉じて樹下に憩う。之を見て何ぞ心肝を摧かざらん」
▲堅幅(縦200×横56cm)
『お蓮、追悼の歌』
「さくら花たとい散るとも壮夫の
袖ににほひをとどめざらめや」
「艶女(たおやめ)が
ゆくゑもしらぬ旅なれど
たのむかひありますらをの連」
獄死した愛妻・お蓮を偲んで歌われた。
▲堅幅(縦210×横73cm)
「壮心固より戴く大東の風。西天に跋跨して赤紅を吐く。怪しまず成功着する所無きを。身は人海万尋の中」
▲堅幅(縦210×横73cm)
「ふきおろせ富士の高嶺の大御風よもの海路のちりを攘わむ」
▲堅幅(縦230×横80cm)
「自ら酌み自ら炊しぐ何んぞ等閑なる。仙に非ず山間におる。人生の歓苦測り難きを知る。物極まれば必ず反するは天の観る所。枯木遂に華さく春暖の日。三冬わずかに耐う霜雪の寒」
▲― 暗殺当日、高橋泥舟邸で白扇に記した辞世。
「魁けて またさきがけん 死出の山 まよひはせまじ 皇の道」
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