八郎ホーム 回天ブログ 清河八郎記念館 清河八郎 年譜 清河八郎関係人物録
清河八郎人物図鑑 回天の魁士 清河八郎物語 清河八郎リンク

NAVI庄内バナー


清河八郎人物図鑑
◎浪士組上洛名簿          回天の浪士組へ戻る

■浪士組上洛名簿(尽忠報国勇姓名録)
※現存の「浪士組名簿」は数多くあり、上洛の道中においても変更されるなど、どれが正しい名簿なのか断定できない現状です。この名簿は、数多いデータを統合して、独自に作成したものです。
役   職
名     前
 ■浪士取扱
鵜殿鳩翁
【帰府時追加】 高橋泥舟
 ■取 締 役
山岡鉄太郎、松岡 万
 ■取締並出役
速見又四郎、佐々木只三郎、高久安次郎、広瀬六兵衛
【帰府時追加】 永井寅之助、徳永 昇、依田哲二郎
 ■調   役
山内八郎、中山修助
 ■道中目付
【小頭】 石坂宗順(周造)、村上俊五郎
木村久之允、白井了意(庄兵衛)、
和田理一郎、斎藤熊三郎
山口三郎草野剛蔵(中村維隆)、武田彦一郎、武井三郎
(上京後取締役附属)
 ■狼藉者取押役
中川 一片山庄右衛門(喜間多)大嶋一学(学)、中村定右衛門
 ■道中世話役
山川達三、 岡田小平太、 角田五郎、福永正蔵、山川竹蔵
岡田助右衛門、田辺富之助
 ■取締役手附
河野音次郎、石倉久七、佐々木三次郎、辻 降介
 ■取締並出役手附
粕谷新五郎、岡田 盟、芹沢 鴨(上洛途中より。最初は6番組小頭)
 ■道中先番宿割
池田徳太郎、佐々木如水近藤 勇
 ★一番組
【小頭】 根岸友山
家里次郎
殿内義雄清水吾一大川藤吉郎中村又太郎
田口徳次郎、
遠藤丈庵、堀内大輔、渡辺彦三郎

【小頭】
山田官司
清水小文次、勝田由蔵、吉野唯五郎、高橋菊之丞、
村田新蔵
湯本半蔵(逸蔵)
、分部再輔、早川文太郎、吉羽三郎、吉羽陽四郎

【小頭】 徳永大和
水野倭一郎千野卯之助、大木九左衛門、清水準之助、内田柳松
山岸金十郎、松本為三郎、戸谷浦次郎、荒井庄司
 ★二番組
【小頭】 武田本記
高橋 亘、
深町矢柄、橋場岩太郎、高橋市蔵立花常一郎
矢継右馬之允(勤助)
、南雲平馬、町田政次郎、武田重郎

【小頭】大館謙三郎
石原伊之助(束)、斎藤文泰、小野沢(安田)平兵衛、新井久七
吉岡谷蔵、青木谷五郎、石原嘉市、栗田口辰五郎、土屋竹蔵

【小頭】 黒田桃眠
河原孝助、菅 俊平(桜山五郎)、石原熊太、大川与市、浜野佐市
杉山弁吉、野村伝右衛門、
森村東之助、伊藤亀之進
 ★三番組
【小頭】常見一郎
嶋野嘉之助、金子蔵之丞、
阿比留鋭三郎、河野和蔵、諏訪山熊次郎
和田堯蔵、新井清六郎、蓮見源次郎、
大嶋百太郎

【小頭】
新見 錦
小林助松、加藤善次郎、
小山僖一郎、本多新八郎、中村太吉
井上源三郎馬場兵助、佐藤房次郎、沖田林太郎

【小頭】石坂宗順(周造)
小倉宗伯(宗治郎)、鎌田昌琢、上林藤平、古渡喜一郎、勝田宗達
小倉喜左衛門、藤本 昇、
羽賀忠次(軍太郎)、寺田忠左衛門
 ★四番組
【小頭】 斎藤源十郎
仁科五郎、吉村魁一、勝野保三郎、井上忠太郎、坂井友次郎
大須賀友三郎、長 嶋吉、長伝次郎、
高橋丈之助

【小頭】 青木慎吉
石井新五右衛門、栗原真三郎、岡田権右衛門、
小沢勇作、園部為次郎
原 周碩、広田光三郎、吉田五郎、角田小兵衛(五郎兵衛)

【小頭】 松沢良作
新井敬一郎、飯野清三郎、田嶋陸奥、小林長次郎、
大野喜右衛門
下山由松、
滝川熊之進、中嶋政之進、川上権十郎
 ★五番組
【小頭】 山本仙之助
谷 右京、藪田幾馬、関口三千之助、
内田作太郎原田儀助
若林宗兵衛
、千野栄太郎、大森浜次、石原新作

【小頭】
森土鉞四郎
山本左右馬(荘馬)
三村伊賀右衛門玉城織衛伊東滝三郎
鈴木栄之助
、吉田小八郎、佐々木周作

【小頭】 村上常右衛門
吉田庄助、市岡重太郎、中追太助嶋田利太郎、熱田省吾
高木泰運、高木平左衛門、新井式部
 ★六番組
【小頭】 村上俊五郎
椿佐一郎、辺見米三郎、柏尾右馬助、長屋源平、田中範也
横山明平、小嶋寛太郎、細田市蔵、真下左京

【小頭】 金子正玄(竜之進)
塚田源三郎、
中沢良之助(竜蔵)、高瀬忠三郎、今井佐太夫(木曽八)
大村達尾、
稲熊力之助、前川太三郎、石原辰三郎、長沢千松

【小頭】
西 恭助(京都壬生村到着後は近藤 勇)
山南敬助平山五郎沖田総司永倉新八野口健次原田左之助
土方歳三
藤堂平助平間重助
 ★七番組
【小頭】宇都宮左衛門
藤本広助、上杉岩吉、高橋常吉郎、杉本安道、
住山涛一郎
内藤矢三郎
、依田熊弥太、雨宮仁一郎、武井三郎

【小頭】
大内志津馬
小林登之助、瀬間清之助、
抽原鑑五郎、川崎 渡、志田源四郎
岡田林兵衛、酒井寿作、吉沢徳之助、五嶋万帰一

【小頭】
須永宗司
庄野伊左衛門
瀬尾与一郎(権三郎)、久保坂岩太、青木平六郎
分部惣右衛門高尾文助神代仁之衛鈴木長蔵
 ■筆 頭
清河八郎
…文久3年(1863年)2月24日、京に到着した浪士組を尊皇攘夷活動の先駆けとすべく、
   八郎の命により、決死の覚悟で朝廷へ嘆願書を提出しに行った隊士。


・・・京都残留浪士。
 この他に京都で
斎藤 一佐伯又三郎が加わった24名が、会津藩預かりの「壬生浪士組(誠忠浪士組)」となる。さらに、下記のとおり別れる。
・・・のちに新撰組となる者(後に芹沢一派は粛清される)  
・・・のちに脱退。幕府の間者であった殿内義雄が惨殺され、家里次郎が切腹。内部紛争を危惧し、粕谷新五郎が脱退。根岸友山一派、清水吾一、遠藤丈庵、神代仁之衛、鈴木長蔵も脱退し江戸に戻り、新徴組に参加。阿比留鋭三郎は病気のため脱退。

・・・新徴組として、戊辰戦争後庄内に下った者。
 幕府は八郎一団が上洛中に更に150名ほどの新参浪士を募集し手をもてあましていたのだが、浪士組が江戸に戻ると、この新参浪士も合併された。三笠町小笠原加賀守空屋敷に屯所を構える。さらに八郎の評判に他の浪士も集まり、浪士組は500名ほどに膨れ上がった。八郎が中心となり、今や幕府を脅かす攘夷の集団となった浪士組。横浜外国人居留区焼討計画を察した幕府は、八郎暗殺を謀る。その後、浪士組を庄内藩預かりとし、「新徴組(しんちょうぐみ)」として江戸市中警護にあたらせる。その際、八郎に傾倒していた浪士は粛清(主犯格の同志・石坂周造、村上俊五郎らは諸藩預かりとなる)され、結成当初から169名へと激減、さらに減っていく。京都残留の芹沢、近藤らから離れ江戸に戻った、根岸友山、清水吾一、遠藤丈庵、神代仁之衛、鈴木長蔵は新徴組に参加。根岸友山は新徴組取締役となるが、すぐに脱退。
名簿上のの浪士は、戊辰戦争勃発以後、庄内に下り戦った者たち。


  回天ブログへ              このページのトップへ

各ページに掲載の写真・音声・CG及び記事等の無断転機を禁じます。
Copyright(c)2006 回天の魁士 清河八郎 All rights reserved.      | プライバシーポリシー