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●神田橋直助【かんだばし なおすけ】
◎攘夷の魁とならん!ヒュースケンを斬る

 薩摩藩士。出自は不明だが、同藩の仲間である伊牟田尚平・樋渡八兵衛らととも万延2年(1861年)1月に結成された「虎尾の会」の幹部となる。その後、尊攘活動を過激化させ、攘夷の魁となるべく、同年伊牟田尚平・樋渡八兵衛らと「ヒュースケン暗殺」を実行した。これに端を発し、八郎をはじめ虎尾の会の同志が幕府に目をつけられることとなり、八郎の町人無礼斬りの際、逃亡している。 逃亡・潜伏期間中、全国の志士に檄を飛ばし、薩摩藩士をはじめ全国の志士が続々と京都に参集しはじめた。攘夷倒幕のための挙兵を現実のものにしようとしていたのだが、文久2年(1863)4月23日、薩摩藩・島津久光公の「挙兵」を信じていた志士たちが、同じ薩摩藩の仲間たちと斬り合いになり、多くの有能な志士が死んだ。幕末維新史の悲劇「寺田屋の変」である。その直後、神田橋は切腹している。

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